# サバ缶事件から始まる霊的覚醒の体験談 ## サバ缶が開いた霊界への扉 あなたは、霊の存在を信じますか? 私は、ごく普通の生活の中で、 ある日突然、霊感に目覚めました。 きっかけは、2023年夏のある日、一つのサバ缶でした。 私は健康的な食事を心がけ、豆と果物中心の生活を続けていました。 そんなある日、ふとした気まぐれでサバの缶詰を手に取ったんです。 食べたあと、しばらくして異変が起きました。 眉間に鋭い痛みが走り、嘔吐が止まらず、救急車を呼ぶほどの状態に。 やがて落ち着いた頃、"声"が聞こえ始めたのです。 こうして突然、私は霊感に目覚めたのです――サバ缶をきっかけに。 ちょうどその頃、ある芸能プロダクションで、 新人アーティスト発掘のためにオーディション企画を開催していました。 格付け制度があり、高評価を獲得すると、現金10万円がもらえる。 そのうえ、事務所に所属して芸能活動を始められるという、夢のある企画でした。 私は、そのチャンスに全力で挑んでいました。 そしてまさにその時、人生の転機となる"霊的な目覚め"が訪れたのです。 もともと私は、エンパス体質と診断されていました。 他人の感情や空気を、無意識に感じ取ってしまう性質です。 けれど、あのとき耳にした"声"は、それとはまったく違いました。 はっきりとした言葉で、誰かが話している。 しかも一人ではなく、まるで十人以上の人が相談しているような、そんな響きでした。 最初は驚きました。 でも、すぐに気づいたのです。 これは――霊の声だ、と。 オーディション会場で聞こえてきたのは、十人以上の霊たちの声でした。 いわゆる"霊団"と呼ばれる存在です。 最初は、ただ耳を傾けているだけでした。 彼らの雑談のような会話が、ふと耳に入ってくるのです。 「発声練習が必要だな」 「もっとオルタナティブロックを聴くといいのに」 そんな言葉の中に、アドバイスのような内容が含まれていました。 私は思いました。 この声を参考にすれば、オーディションで良い結果が出せるかもしれない。 それから徐々に、その声を信じるようになりました。 言われた通りに動くたび、周囲の反応が目に見えて変わっていったのです。 「こいつ、センスあるな」 そんな声が聞こえるようになり、私の評判はうなぎ登りに上がっていきました。 霊団の中でも、意見が割れているようでした。 「こいつは使える」 「いや、推すなら別のやつだろ」 そんなざわめきが、まるで会議をしているかのように聞こえてきました。 私は、霊団の声を頼りにし続けていました。 すると、霊団のほうも気づき始めたようです。 「あれ? こいつ、俺たちの声、聞こえてるんじゃないか?」 最初は半信半疑だった様子が、やがて確信に変わりました。 「こいつ、会話できるぞ」 その瞬間から、私と霊団の関係が変わりました。 一方通行だったつながりが、日々の"対話"へと進化していったんです。 ## 暗転:権利を狙う悪霊の本性 霊たちが「この事務所をもっと有名にしたい」と思っていたこと自体は、 決しておかしなことではなかったと思います。 ただ――その"やり方"に、問題があったのです。 当時の私は、すでに作詞を日課としており、 気づけば100曲分もの歌詞が手元にありました。 それらをストーリー仕立てにまとめ、小説化も視野に入れて構成。 目指していたのは、YOASOBIさんのような、物語と音楽の融合です。 ある日、その企画を企画書にまとめ、芸能プロダクションに提出しました。 ――そこからです。 すべてが変わり始めたのは。 突然、霊たちの様子が一変しました。 まるでヤクザのような口調で、こう言ってきたのです。 「お前の作詞、よこせ」 「権利も全部、渡せ」 相手の勢いに、どう対応していいかわかりませんでした。 けれど、渡せるわけがありませんでした。 これは、私の25年分の集大成。 思いも時間もすべて詰め込んだ作品です。 絶対に、奪われたくない。 「いやだ、あげない」 そう返しましたが、対話にはなりませんでした。 ただ一方的な恫喝が続いたのです。 まるで「こいつは弱い」と決めつけられているような圧力。 その後すぐ、霊的な攻撃が始まりました。 たぶん霊たちは、こう思ったのでしょう。 「こいつは金になる」と。 ## 7日間の呪いと精神病院での診断 そこからの展開は、想像を超えていました。 始まったのは、霊団による"総攻撃"。 ある日、霊の声が聞こえました。 「帳(とばり)を下ろすぞ」 最初は意味がわかりませんでした。 けれど直後、5時のチャイムと救急車のサイレンが、頭の中で鳴り止まなくなったのです。 遠くからスピーカーで罵声を浴びせられているような音。 それは7日間も続きました。 「これが呪いか……」 私は初めて、呪いの存在を実感しました。 眠れない状態が続くと、人は心身ともに追い詰められていきます。 そして次第に意識がもうろうとし、やがて"トランス状態"に入るのです。 おそらく霊たちは、その状態を狙っていました。 睡眠不足で私を弱らせ、トランス状態に陥らせることで、 憑依しやすくし、自分たちの"しもべ"にしようとしていたのだと思います。 そして、さらなる奇妙な現象が起こりました。 マツコ・デラックスさんや明石家さんまさんのような、 芸能界の大御所達の姿が、幻のように現れたのです。 そのとき私は、完全な憑依状態。 意識はぼんやりとしていて、身体は自分のものなのに自由がきかず、 気がつけば、目の前に現れたその姿に向かって、 何度もペコペコと頭を下げていたのです。 まるで新人タレントが事務所の重鎮に挨拶をするかのように。 自分の意志では止められないのに、その様子をどこか冷静に見ている自分もいて、 とても奇妙な感覚でした。 あの状態では、恐怖に屈して言いなりになってしまう人もいると思います。 正直、自分でもよく耐えたと思います。 当時の私は、いわゆる"半霊意識"の状態にありました。 そのせいか、悪霊たちの意図がはっきりと伝わってきたのです。 「うまい汁を吸ってやろう」 「意のままに操ってやる」 そんな考えが、まるで直接読み取れるかのように、私の中に流れ込んできます。 それと同時に、「これは明らかにおかしい」と、 どこかで冷静に見ている自分もいました。 霊の知識もなく、恐怖と不安の毎日。 「自分はどうなってしまうんだろう」 そう思いながら、私は必死に耐えていました。 耐えられたのは、ポジティブな性格と、コーチング・カウンセリングの経験のおかげ。 「精神的には負けない」――その強い思いが、私を支えてくれていたのです。 結局、誰にも相談できないまま、私は精神的な苦痛に耐え続けました。 それが、7日間。 さすがに母も気づきました。 「これはおかしい。ただ事じゃない」と。 そうして私は、母に連れられ、車で精神病院へ向かうことになったのです。 病院に着くと、まずは一般的な診察から始まりました。 椅子に座っていくつかの質問に答え、 眼球の動きをチェックするような検査もありました。 ただ、その空気感はすぐに伝わってきました。 最初から「精神の病を抱えた患者」として見られている――そんな扱いでした。 霊の話などすれば、ますます厄介なことになる。 そう直感した私は、何も言えず、黙って言葉を飲み込むしかありませんでした。 心の中では、「これは精神病なんかじゃない」と何度も思っていました。 けれど、言えばますます怪しまれるだけ。 黙っているしかなかったのです。 その時の私は、睡眠不足と精神的な疲労でボロボロでした。 髪もヒゲも手入れされておらず、痩せこけた姿。 意識はあるけれど、憑依した霊に口を動かされることもあり、無意識に独り言をつぶやく。 見た目にはどう見ても"重度の精神疾患の患者"だったでしょう。 診察中のやり取りは、どこか淡々としていました。 医師は簡単に診察したあと、静かな口調で言いました。 「この症状は統合失調症ですね」 ――「うわぁ、マジか。俺が精神病?」 頭の中が真っ白になりました。 同時に、胸の奥にひとつの疑問が浮かび上がってきました。 「もしかして、世の中の統合失調症って、霊人による陰湿な"いじめ"なのか?」――と。 愛や信頼は「統合」、 拒絶や分断は「分離」。 悪霊や邪霊は、この"分離"を目的に動いている。 私は、はっきりとそう感じたのです。 人と人を切り離し、孤立させ、協力できないようにすることで、彼らにとって都合のいい状態を作り出す。 支配し、操作しやすくなるからです。 霊的な目覚めは、これからの世直しに欠かせない力です。 だからこそ、悪しき霊たちはそれを恐れ、霊感のある者を精神的に追い込み、 病院へと送り込もうとします。 社会から切り離すことで、気づきや目覚めを封じようとするのです。 現代医学は「意識は脳の産物であり、死ねば消える」と、 仮定していますが、これは科学的に証明されていません。 統合失調症も、本当に病気なのかどうか、断定はできないのです。 結局、私は病院で薬を処方されただけで、入院にはなりませんでした。 その薬も、一度も飲まずに終わりました。 一時的に気持ちは落ち着いたものの、根本的な問題は何も変わっていませんでした。 わかっていたこととはいえ、やはり病院ではどうにもならなかったのです。 "帳"は依然として私を包んだまま。 頭の中では、5時のチャイムと救急車のサイレンが、相変わらず鳴り続けていました。 悪霊たちはとにかく狡猾でした。 病院や家族の前では沈黙を保ち、私がひとりになると途端に攻撃を仕掛けてくる。 お祓いや霊媒師のことも頭をよぎりましたが、誰かに相談する勇気は持てませんでした。 ## 『大日月地神示』との運命的な出会い そんなある日の夜、7時ごろのことです。 ふと、頭の中にひとつの言葉が響きました。 「大日月地神示(おおひつくしんじ)」 その声は、あの邪霊たちと同じものでした。 「なんだ、それ?」と思い、すぐにスマホで検索してみました。 すると、一冊の本にたどり着きます。 本の説明には、こう書かれていました。 「大日月地(おおひつく)神示」は、日本のシャーマンである神人(かみひと)を通じて、異次元世界より降ろされ続けた、地球人類に対しての救世の神示である。 それを読んだ瞬間、「これは今の自分に必要なものだ」と直感しました。 迷わず注文。上下巻の2冊構成で、先に届いたのは後巻でした。 届いたその日から、命がけで読み始めました。 第1章から第32章まで、一気に読み進めます。 まさに、死に物狂いの読書でした。 今振り返れば、あのとき私を支えていたのは、守護霊様だったのだと思います。 あとになって気づいたことですが、 ――"今この瞬間に意識を戻すこと"。 それこそが、自分の心の主導権を取り戻す鍵だったのです。 これは、「全身全霊」で生きるということの本質にも通じています。 自分の本当にやりたいことに正直に生きれば、自然と意識は集中し、邪なものが入り込む隙もなくなるのです。 さらに不思議なことに、本に書かれていた内容は、当時の自分の体験と驚くほど重なっていました。 私は、信じざるを得ませんでした。 読み進めるうちに、守護霊様や指導霊様について書かれた章にも出会いました。 そして私は確信したのです。 「良い霊人は、確かに存在している」と。 彼らは、私たちが気づかないところで災いを和らげ、導きを与えてくれている。 まさに"見えないサポーター"です。 しかし一方で、悪意を持った邪霊や魔物も確かに存在します。 中には、「この人間は利用できる」「操りやすそうだ」と損得勘定で接近してくる霊もいるのです。 霊の世界には、善も悪も確かにある。 私は、それを身をもって知ることになったのでした。 結果的に、私は『大日月地神示』に大きく助けられました。 とはいえ、霊障が一気に消えたわけではありません。 その後もしばらくは、良い時と悪い時の落差が激しく、 日常が"二極化"しているような感覚が続いていました。 それでも、気がつけば"帳(とばり)"はいつの間にか晴れていました。 外出もできるようになっていましたが、体調はまだ完全ではなく、 コンビニにすら行けない時もありました。 それでも、不思議と音楽活動だけは許されていたのです。 おそらく、襲ってきていたのが芸能プロダクションに関わる霊団で、 私に「音楽だけをやらせよう」としていたのだと思います。 音楽活動を再開できたことで、 体調はまだ完全じゃなかったけれど、 「何か行動したい」という気持ちが、少しずつ芽生えてきました。 ## 子ども食堂での癒しと悪霊の変化 そんなある日、ふと頭に浮かんだのが、"子ども食堂"という言葉でした。 思い返せば、仙台に住んでいた頃。 ネットワークビジネスに関わっていた知人が、 「いつか子ども食堂をやりたい」と、よく話していたんです。 その言葉が、なぜかずっと心に残っていました。 それをふと思い出して、自然と、 「もしボランティアをするなら、子ども食堂だな」と感じました。 もうひとつ理由があります。 霊たちが"お金"に執着していることを、強く感じていたからです。 だからこそ、私はあえて、お金にとらわれず、 誰かのために、"無償で関わる"という行動を選びたかったのです。 さっそくネットで「ボランティア 子ども食堂」と検索してみたところ、 一番近くに出てきたのが福島の子ども食堂でした。 まずはそこに参加してみることにしました。 すると、参加した先で「地元・栗原市にもあるよ」と教えていただいて、 そこから、宮城県栗原市の子ども食堂ともつながっていきました。 というのも、子ども食堂にいるだけで、霊障がけっこうおさまります。 体調も良くなるし、楽しく過ごせます。 子どもたちはみんな無邪気で、純度が高いというか、 すごくいいエネルギー体をまとってる感じがするんです。 それに、子どもたちを守ろうとする守護霊様たちの意識も、すごく強くて。 私に取り憑いてた霊たちも、子どもたちに手出しするどころか、 なんか、縮こまっていて、 感覚としては、みぞおちあたりにキュッと小さくなってる感じ。 それで、霊たちは私を通じて、間接的に子どもたちとふれあうことになり、 そうすると、ちょっと不思議なことが起き始めました。 悪霊が――なんというか、悪霊じゃなくなってくるような。 最初は「私、子ども嫌い」って言ってた霊も、 子どもたちがキャッキャとはしゃいで、私を通してグイグイ来ると、 さすがに嫌な気持ちにはならないんですよね。 子どもに対して戸惑っている様子や、 その純粋な愛に癒されている感覚が、こちらにも伝わってきます。 感覚的につながっているので、彼らの反応が、自然と分かるんです。 すると、「子ども嫌い」と言ってた霊も、 少しずつ考え直しているような、そんな雰囲気になってきて。 思わず驚くほど、やわらかくなっていく姿が感じとれたりもしました。 こういうの、人間とすごく似てるなと思いました。 いや、似てるというより――人とまったく同じです。 霊は私に取り憑くことで、私と意識や感覚を共有します。 私が子どもたちから愛を受け取れば、霊もそれを感じ、 私が苦しめば、霊も同じように苦しみを感じます。 つまり、霊が私を苦しめることは、同時に自分も苦しむという矛盾した行動なのです。 そもそも、多くの悪霊は、自ら進んで苦しみを望んでいるわけではありません。 生前、過酷な環境の中でやむを得ず悪事に手を染め、 改心することなく亡くなった者が多いようです。 死後の世界では、改心の機会が少ないのか、それとも本人に変わる意志がないのか―― 愛を知らず、奪い合いの中で、永遠に生き続ける。 そうした存在が、悪霊なのかもしれません。 ## 悪霊との向き合い方と改心への道筋 少しずつ、悪霊への理解が深まる中で、 もっとも効果的な対処法は「日々、感謝して過ごすこと」だと気づきました。 悪霊は、愛や感謝といった"高い波動"とは相容れません。 そのため、そうした日々を送ることが、最も自然な対処法になります。 私は霊たちとの関わりを通して、 結局のところ、自分の「あり方」こそが何より大切なのだと教わりました。 そしてもうひとつ、大きな助けになったのが―― 『大日月地神示』の音読でした。 この神示には、 「悪霊さえも救う」と、書かれています。 私は、その内容を霊たちに聞かせるようになりました。 毎日、声に出して、音読を続けました。 すると、少しずつ変化が起きました。 中には、それで改心する霊も現れたのです。 当時の私は、自分の状態もきつく、余裕もありませんでした。 それでも音読を続けていたあるとき、 白装束をまとい、頭を下げて反省する霊の姿が、 まるで映像のように、はっきり見えたこともありました。 ただ、すべての霊がそうなるわけではありません。 中には、どんな言葉にも耳を貸さず、 改心の意思をまったく持たない霊もいます。 そういう霊には、神示に書かれている祝詞(のりと)を唱えます。 すると、神示に由来する霊団が現れ、 その霊を別の場所へ連れていってくれるのです。 私には見えませんが、空気が「すっ」と軽くなり、 たしかに消えたことがわかる感覚があります。 こうして、日々少しずつ、悪霊への対処法を学び、実践していきました。 「すべての悪霊を霊団様が連れて行ってくれたら、どれだけ楽だろう」と思ったこともあります。 でも現実はそう甘くなく、そこには"学び"や"因縁"など、絡んでいるようでした。 霊との争いは、不毛で消耗するだけです。 勝ち負けが前提となると、どちらかが折れない限り終わらない。 相手が引かない、ただお互いがボロボロになるばかり。 エネルギーは枯渇し、精神的にも疲れ果てる―― その繰り返しの中で、おそらく、霊たちも争いの無意味さを感じたのでしょう。 ついに、悪しき霊団は私を取り込むことを諦め、 悪霊たちは"強制的に"私にオーディション辞退のメールを送らせ、 芸能プロダクションとの関係を断つことになったのです。 それにより、状況は大きく改善しました。 けれど、すべての霊が立ち去ったわけではありませんでした。 中には、しつこく憑依を繰り返す悪霊も、なお残っていたのです。 ## 自然との調和と新たな歩み その後、ご縁があって、近くのエコビレッジのプロジェクトを手伝うことになりました。 自然と触れ合っていると、霊障がやわらぎ、体調がとても安定していたのです。 手伝いを続けるうちに、滝を巡ったり、神示の手伝いをするようになりました。 その流れで、まったくの無計画ながら、八甲田山に登ることになったのです。 そこで、さらに深い霊的な体験や、不思議な出来事を経験することになります。 そのお話は、また次の物語で詳しく綴りたいと思います。 これらの体験は、私にとって計り知れないほど大きな意味を持つものでした。 「笑う門には福来たる」という言葉を胸に、 毎日を幸せに、楽しく過ごすようにしています。 もしかすると今、ネガティブな気持ちを抱えて悩んでいる方もいるかもしれません。 でも、落ち込んでいるときまで、無理にポジティブになろうとしなくても大丈夫。 それは、自分を犠牲にして、周囲に合わせようとすることになり、 かえって自分を苦しめてしまうこともあるのです。 私は、すべての物事には「陰」と「陽」という二つの側面があり、 その間にあるのが「愛」だと感じています。 陰と陽の両方があって、はじめて物事は本来のバランスを保つのです。 だから、「ネガティブだからダメ」というわけではないのです。 ポジティブとネガティブ、そのどちらも大切なのです。 今や「お金に支配された社会」とも言われるようになりました。 でも、そんな現実も、今まさに地球規模で大きく変わろうとしています。 この文章を読んでいる方の中には、 きっとその変化の兆しを、もう感じ取っている方もいるのではないでしょうか。 ## 沸騰する地球と自分自身との向き合い方 今の地球の状況をたとえるなら、 まるで「沸騰する鍋」のようです。 波動が高まることで、鍋の表面に"アク(=悪)"が浮かび上がってくる── そんな現象が、社会全体の大きな変化や、 人々の二極化を引き起こしているように感じます。 鍋が沸騰すれば、いずれ中身があふれ出します。 人々もまた、それと同じように、 「もう自分に嘘がつけない」状況へと向き合わされていきます。 多くの人は、「自分を抑え込んでいる」ことで苦しんでいるのかもしれません。 地球の波動が高まると、人々の意識も変容し、純粋な幸せを感じやすくなります。 それを象徴するのが、「心が晴れる」という日本語表現です。 心とは、霊界そのもの。 霊界の状態が整えば、見える景色さえも変わってきます。 いつも通っている道が、なぜかやけに美しく感じられたり、 花や木が、まるで光を放っているように見えたり。 そんなふうに、心の状態は世界の見え方さえも変えるのです。 これは単なる気分の変化ではありません。 本当に、"世界の見え方、感じ方そのもの"が変わるのです。 だからこそ、日々「感謝、感謝」の気持ちで過ごすこと。 これが基本だと感じます。 地球のアセンションが進めば、 やがて悪魔や邪霊が住めなくなるような地球が生まれてきます。 だからこそ、彼らはその流れを阻止しようと、 命がけで動いている勢力も存在するのです。 けれど、それも時間の問題。 すべての悪魔や邪霊は、やがて他の場所へと移されていく。 世界は確実に、その方向へ進んでいる──そう感じています。